自分のことを理解してくれてる人。
いません。
誰だってそうや。おるわけないやん。
逆に理解してる方が怖い。オレの考えお見通し、てことになっちゃう。
好きな人同士でも同じこと。
好きってなんや?
相手を求めること?
自分のこと好きって言ってくれる人は好きなんか?
なんか違う。
それは相手を拘束していることになる。
「自分の隣にいて欲しい」
こう思うこと自体が「拘束」していることになる。
二人でいて、落ち着く。
二人の時間が愛おしい。
なんや難しい話やけど、頭の中では分かってそうやけど、でも、実際にはできへん。
だだこねるガキになってまう。

あかん、タイトル考えたとき考えてた文面と趣旨が変わってきた。
何が言いたかったんやろ…。
自分のこと理解してくれてる人っていないもんやね。
表面上優しくしてくれてたって、思いやり見せてくれてたって、結局は他人事であり、分かっていない。
誰かの言葉にこういうものがあった。
 友の喜びをともに喜び、友の憂いをともに憂う。それが真の友だ。
「ん〜、ええこというなぁ」
そう思いましたか?
この人はこの言葉を書いてある前後で「心が通うことが大事だ」みたいなことを言ってのけてる。
でも今僕が書いていることに基づけば、心が通じることなんてありうるだろうか。
「また屁理屈か」
そうお思いの方もいるだろう。
事実、こう述べている本人もそう思っている。
きりがない。
そんなこと言い始めたってなんもならんし。

四六時中こんなこと考えてるわけじゃないんやよ。
ただなんか思いついただけのこと。
「最近人間関係に疲れてるなぁ」て。

僕が今、一番信頼している人。
もちろん親族を除いて、しかもちょっと違う意味でね。
一人だけいます。
でも彼も100%とは言い切れない。

人間関係って難しい。

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