12月11日の日記
2005年12月11日うちの家系の男は16歳になると死ぬ。
15歳の誕生日を迎えた日、親から伝えられた。
病名は「骨粗変位症候群」。
原因はカルシウムに関係あるらしく、骨が脆くなって骨が変形したり折れやすくなったりして、背が縮んでいくらしい。
外見は全くもって普通の少年と変わらないのだが、思春期を迎えるあたりから変化が起こる。
15歳が絶頂期でそれ以降は衰退していく。
その期を迎えたあとは進行が異常に早くなり、その変化は目にみて分かるほどになる。
だから15歳になるとその事実を知らされる。
確かにショックだったし、そんな病気聞いたことないから最初は嘘かと思った。
だってこんなに元気で、体格だって周りの奴よりしっかりしてるし、運動だってできる方。
それなのにこの体にそんなことが起きるなんて。
ありえない。
信じれなかったけど、体に起こる異変を見るにつれて、信じずにはいられなくなった。
最初で最後の修学旅行。
人生で最後の宿泊訓練になるわけだ。
この頃からかな、体重が落ち始めたのは。
その事実を知らされて間もない頃だったから、自分の変化についていけず、焦りと不安で一杯だった日々。
今でも忘れられないあの五日間。
最後の日、駐車場で待たされてたときだった。
どんな経緯だったかは忘れた。
隣の奴と身長のことで争ってて、どっちが高いか勝負しよう、て背比べをしたときのこと。
「まっさん、骨盤曲がってるで」
なんて返事をしたか覚えてない。
ただ座って自分の腰に手を当てたときの感触だけは忘れられない。
痩せているとかそういうのじゃなくて、骨が出てる。
関節の形がおかしくなっていて、肉があるべき場所に骨がある。
脚に目をやると、やはりというべきか、どことなく短くなっているような気がする。
上半身は目がいかないから、鏡をみることのないここでの生活では気づきもしなかったけど、多分上半身も縮んでどこかに異常がでているのだろう。
周りの一部の人にはその事実を伝えてあったから、あえてそのことには触れようとしてくれなかったのかもしれない。
そうやって自分の体を眺めて、ようやくそのとき自分の死を悟った。
余命一年か。
絶望‥‥なんて言葉が思い付く前に頭を垂れた。
三角座りっていうのかな、膝と膝の間に頭を挟んで。
そうしたら右手にこっちを悲しそうな目で見つめる子の姿が映って。
彼女はその事実を知っているからぼくの状況が分かっていて、だからただそんな目でぼくを見つめることしかできなかったのだろう。
でもそのときのぼくにはそんなことを気にかける余裕はなくて、改めて病気のことを考えると、今度は絶望感が襲ってきた。
自然に涙がでてくるってこういうことを言んだろうか、視界がぼやけてくる。
死んじゃうんだなぁ‥‥‥‥。
て、いう夢を見ました。
妙にリアルで、目覚めた瞬間自分の脚を触ってみて、異常がないことを確認しました。
それでもまだ不安は拭いきれず、親の顔を見に台所へ行ってみました。
そこには普段通りの母がいて、朝早くには似合わない真剣な顔をしたぼくを見て、
「なにしてんや」
そう言われてようやく安心した。
夢やったんやなぁ。また生きられるんやなぁ。
って。
にしても病名まででてくるのはリアル。
そのあともう一度寝ようとしたけど、なかなか寝付けんくて、しばらく布団の中でそのことについて考えていました。
あと何年生きられるなんて
誰にも分かんねぇ
15歳の誕生日を迎えた日、親から伝えられた。
病名は「骨粗変位症候群」。
原因はカルシウムに関係あるらしく、骨が脆くなって骨が変形したり折れやすくなったりして、背が縮んでいくらしい。
外見は全くもって普通の少年と変わらないのだが、思春期を迎えるあたりから変化が起こる。
15歳が絶頂期でそれ以降は衰退していく。
その期を迎えたあとは進行が異常に早くなり、その変化は目にみて分かるほどになる。
だから15歳になるとその事実を知らされる。
確かにショックだったし、そんな病気聞いたことないから最初は嘘かと思った。
だってこんなに元気で、体格だって周りの奴よりしっかりしてるし、運動だってできる方。
それなのにこの体にそんなことが起きるなんて。
ありえない。
信じれなかったけど、体に起こる異変を見るにつれて、信じずにはいられなくなった。
最初で最後の修学旅行。
人生で最後の宿泊訓練になるわけだ。
この頃からかな、体重が落ち始めたのは。
その事実を知らされて間もない頃だったから、自分の変化についていけず、焦りと不安で一杯だった日々。
今でも忘れられないあの五日間。
最後の日、駐車場で待たされてたときだった。
どんな経緯だったかは忘れた。
隣の奴と身長のことで争ってて、どっちが高いか勝負しよう、て背比べをしたときのこと。
「まっさん、骨盤曲がってるで」
なんて返事をしたか覚えてない。
ただ座って自分の腰に手を当てたときの感触だけは忘れられない。
痩せているとかそういうのじゃなくて、骨が出てる。
関節の形がおかしくなっていて、肉があるべき場所に骨がある。
脚に目をやると、やはりというべきか、どことなく短くなっているような気がする。
上半身は目がいかないから、鏡をみることのないここでの生活では気づきもしなかったけど、多分上半身も縮んでどこかに異常がでているのだろう。
周りの一部の人にはその事実を伝えてあったから、あえてそのことには触れようとしてくれなかったのかもしれない。
そうやって自分の体を眺めて、ようやくそのとき自分の死を悟った。
余命一年か。
絶望‥‥なんて言葉が思い付く前に頭を垂れた。
三角座りっていうのかな、膝と膝の間に頭を挟んで。
そうしたら右手にこっちを悲しそうな目で見つめる子の姿が映って。
彼女はその事実を知っているからぼくの状況が分かっていて、だからただそんな目でぼくを見つめることしかできなかったのだろう。
でもそのときのぼくにはそんなことを気にかける余裕はなくて、改めて病気のことを考えると、今度は絶望感が襲ってきた。
自然に涙がでてくるってこういうことを言んだろうか、視界がぼやけてくる。
死んじゃうんだなぁ‥‥‥‥。
て、いう夢を見ました。
妙にリアルで、目覚めた瞬間自分の脚を触ってみて、異常がないことを確認しました。
それでもまだ不安は拭いきれず、親の顔を見に台所へ行ってみました。
そこには普段通りの母がいて、朝早くには似合わない真剣な顔をしたぼくを見て、
「なにしてんや」
そう言われてようやく安心した。
夢やったんやなぁ。また生きられるんやなぁ。
って。
にしても病名まででてくるのはリアル。
そのあともう一度寝ようとしたけど、なかなか寝付けんくて、しばらく布団の中でそのことについて考えていました。
あと何年生きられるなんて
誰にも分かんねぇ
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