優しさ。努力と無駄。
2006年4月5日スイミングのチームメイトが一人止めました。
先輩なんですが、練習がしんどいから、という理由。
聞くところによると二度目のことらしいです。
だからもう「戻ってこい」という言葉はかけられません。
また同じことを繰り返すに過ぎないから。
自主的に戻ってくることを待つのみです。
『優しさは責任がないからこそできるもの』
ついでの話で、主任からこんな話がありました。
「努力」と「無駄」について。
目標に向かってやってきた。
でも目標は達成できなかった。
良い例が甲子園球児。
「負けたけど、悔いはないです」
この言葉あり得ない。
悔いがない筈なんてない。
目標に向かって今までやってきた期間は、達成できなかったことにより無駄になる。
ようは「結果がすべて」ということ。
でも大切なのはここから。
例えば、中学で全中出場できなかった、だから中学の三年間は無駄だ。
でも高校へいって今度はインターハイに出場できた。
すると高校三年間は「努力」であるし、さらに中学の三年間も「努力」になる。
「無駄」だったことから「意味のある三年間」になる。
ここでダメだったからといってめげるんじゃなくて、次にそれを活かせば良いという考え。
こんな考え方素敵じゃありませんか?
人生ってそんなもんです。
死ぬときに「ええ人生やった」と思えれば、人生は意味のあるものだったし、「あーええことない人生やったな」と思えば、生きてきた意味がなかったということ。
『いまは常に経過点である』
先輩なんですが、練習がしんどいから、という理由。
聞くところによると二度目のことらしいです。
だからもう「戻ってこい」という言葉はかけられません。
また同じことを繰り返すに過ぎないから。
自主的に戻ってくることを待つのみです。
『優しさは責任がないからこそできるもの』
ついでの話で、主任からこんな話がありました。
「努力」と「無駄」について。
目標に向かってやってきた。
でも目標は達成できなかった。
良い例が甲子園球児。
「負けたけど、悔いはないです」
この言葉あり得ない。
悔いがない筈なんてない。
目標に向かって今までやってきた期間は、達成できなかったことにより無駄になる。
ようは「結果がすべて」ということ。
でも大切なのはここから。
例えば、中学で全中出場できなかった、だから中学の三年間は無駄だ。
でも高校へいって今度はインターハイに出場できた。
すると高校三年間は「努力」であるし、さらに中学の三年間も「努力」になる。
「無駄」だったことから「意味のある三年間」になる。
ここでダメだったからといってめげるんじゃなくて、次にそれを活かせば良いという考え。
こんな考え方素敵じゃありませんか?
人生ってそんなもんです。
死ぬときに「ええ人生やった」と思えれば、人生は意味のあるものだったし、「あーええことない人生やったな」と思えば、生きてきた意味がなかったということ。
『いまは常に経過点である』
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